令和7年12月16日(火)
昨日、包丁2本を久しぶりに研ぎました → リミックス株がプラスに転じました → 庭のマキノ木及びドウダンツツジの剪定
昨日も寒い朝を迎えましたが、幸いなことに朝から太陽が出てくれました。
布団を干すことができました。
久しぶりに包丁を研ぎました、よく切れると聡慧がほめてくれました。
リミックスの株に期待してパソコンの一日でした。
急遽、プラスに転じました。
本日が楽しみです。
夕刻は買い物を兼ねてウォーキング60分でした。
公園の銀杏の木はほぼ枯れ葉が落ちました。
帰宅後、庭の飯野さん側のマキノ木及びドウダンツツジの剪定をマシンを使ってしました。
出来栄えは疑問ですが、自分では80点です。
本日も寒い朝を迎えました。
 「5類型」撤廃、自民も驚く維新の積極姿勢 「対・参政党」の狙いも
朝日新聞の記事です。
「5類型」撤廃で改めて一致した自民党と日本維新の会。
維新は自民以上に前のめりな姿勢で与党協議を牽引(けんいん)し、議論中の「歯止め策」も殺傷能力のある武器の際限のない輸出拡大にどこまで機能するかは不透明だ(以下、省略)

本日の新聞の1面のトップ記事です。
維新の会の考えがよくわかりません。
自民党を引っ張っているように思います。

 自民党の国防部会・安全保障調査会合同会議に臨む安保調査会会長の小野寺五典・元防衛相(左から2人目)ら=2025年11月20日午前8時3分、東京・永田町の党本部、岩下毅撮影
 新設メガソーラー、補助金対象外に パネルのコスト減や環境破壊で
朝日新聞の記事です。
政府は、新たに建設するメガソーラー(大規模太陽光発電施設)などについて、補助金による支援の対象外とする方針を固めた。
太陽光パネルの生産コストが大幅に下がったことに加え、環境破壊や景観の悪化につながる例も目立つため。
屋根や農地の上に設置するタイプは支援を続ける。(以下、省略)

新エネの柱になっている太陽光発電です。
屋根や農地を除いて補助金がなくなるという、残念なことです。

 釧路湿原道路沿いにあるメガソーラー。
奥は釧路市の市街地=2024年9月18日、北海道釧路町、朝日新聞社機から
 初の「北海道・三陸沖後発地震注意情報」が終了 地震の備えは継続を
朝日新聞の記事です。
8日の青森県東方沖を震源とする地震に伴い初めて発表された「北海道・三陸沖後発地震注意情報」は、16日午前0時に終了した。
発表から1週間が経ち、政府は防災の「特別な備え」の呼びかけを終えた。
ただ、平時でも巨大地震の発生が迫っているとして、家具の転倒防止など日頃からの備えは推奨する。(以下、省略)

注意情報が終わったとはいえ、警戒は必要です。
地震の予知が出来ないものでしょうか。
今日は何の日 (出典 雑学ネタ帳)


電話創業の日(12月16日 記念日)

 1890年(明治23年)のこの日、東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が開始し、千代田区に設置された電話交換局が営業を始めた。
 加入電話は東京155台・横浜44台、電話交換手は女子7人・夜間専門の男子2人が対応した。当時の電話料金は定額料金で東京が40円・横浜35円。この時代、1円で米が15kg買えたため、今の値段にすれば40円は24万円くらいに相当し、当時の電話はとても高価なサービスだったことが分かる。
 これよりも21年前の1869年(明治2年)10月23日、横浜裁判所構内に電信機役所が設置され、東京〜横浜間で公衆電信線の架設工事が始まった。これに由来して10月23日は「電信電話記念日」、10月20日〜26日は「電信電話週間」となっている。
 東京〜横浜間で電信サービスが開始されたのはその翌年の1870年(明治3年)のことである。
 さらに、1876年(明治9年)にアレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell、1847〜1922年)が電話機を発明すると、翌1877年(明治10年)には工部省が電話機を早速輸入して実験を行い、電話機の国産化に着手した。
  そして、上記のように1890年(明治23年)に逓信省により東京〜横浜間の電話交換サービスが開始され、電信・電話は同省の下で運営管理されることになった。
    
     電話交換局(八重洲町、1902年頃)                                       
 当時の電話には電話交換手という電話の回線をつなぐ業務を行う人がいた。電話局内にある交換台において、一組の電話プラグを適切なジャックに差し込むことで、電話の回線を接続し、電話で話すことができた。そのため、電話をかける時は、最初に電話局の交換手を呼び出し、相手の電話に接続してもらっていた。

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